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Rialto Theatre (South Pasadena, California)


フェア・オークス・アベニュー (旧ルート66) とオクスリー・ストリートの角に立地したサウスパサデナのオールドシアター。
前回アップしたクリームソーダ屋さんから南に向かって、ミッション・ストリートを越えた先にある。



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リアルト劇場は、1925年にサンセット大通りのビスタ・シアター (Vista Theatre) の建築家でもあったルイス・A・スミス (Lewis A. Smith) によって建てられたムーア様式の劇場で、アールデコの影響もある味わい深い建築物である。
南カリフォルニア最後のシングル・スクリーン・シアターのひとつとして、1300席のキャパがある貴重な劇場だ。



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数々の映画やコマーシャルのロケにも使用されたが、特に2016年12月9日に全米公開されたデイミアン・チャンゼル監督の話題作 『ラ・ラ・ランド』 で、主演のミアとセバスチャンがジェームス・ディーンの『理由なき反抗』を観に行ったシーンは、ひときわ印象的だった。


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リアルト劇場は2007年に閉鎖された後、建物は放置されて廃墟化が進んでいたが、数年前から、このままにはしておけないと、町の人々や市民団体が立ち上がり、さらに歴史的建築物を蘇らせることで知られるデベロッパーがこの地を購入したことにより、現在は修復が進んでいるようだ。

うん、いい話しだね。



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再び、劇場として復活する日が楽しみだな〜☆


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Rialto Theatre

1023 Fair Oaks Ave (at El Centro St.)
South Pasadena, CA 91030
(626) 799-1824
http://friendsoftherialto.org/FOTR2/




使用カメラ
ボディ : SONY α7Ⅱ(ILCE-7M2)
レンズ : FE 24-70mm F2.8 (GM SEL2470GM)








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この時期、清々しい気候のパサデナ。
たまには暑い日もある。
そんな時は、昔ながらのクリームソーダ屋さん
"FAIR OAKS PHARMACY SODA FOUNTAIN"が最高〜☆



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1915年創業のフェア・オークス・アベニュー(旧ルート66) 沿いにある老舗の薬局である。
昔のアメリカではドラッグストアと併設して「ソーダファウンテン」があり、くすり屋さんとクリームソーダ屋さんは同じラインで繋がっていた〜:-o
日本では資生堂パーラーがクリームソーダの発祥店で、やっぱり薬局からなんだよね。

理由を調べてみると、もともと炭酸飲料は医薬品扱いで開発されたため、20世紀初頭はドラッグストアで売られていたらしく、当時は瓶詰め、缶詰による流通に限界があったのと、保存に大きな設備が必要だったため、"ソーダはドラッグストアで販売されるもの”だったらしい。
そういえば、コカコーラやドクターペッパー って薬品の味だもんねー
またその後、ドラッグストアは、時代とともにコンビニへと移っていった経緯も含めて考えると、なんだか自然な組み合わせにも思えてきた。



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サウスパサデナで店を開いて103年。
変わらぬ味なのかは分からないし、その時代も知らないけど、どこか懐かしくなってしまう、とびきりレトロな感覚のお店である。



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王道系のストロベリー・クリームソーダ(Strawberry Ice Cream Soda)を注文。


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アメリカで”クリームソーダ"というとアイスクリームがポコッと浮いているのではなく、 クリーム状のアイスが半分くらい溶け込んだものが出てくる。
日本式のものを注文したければ、ソーダフロートとかクリームアンドソーダとか言わなければならない。

日本の王道系はなんといっても、あのメロン・クリームソーダだよね。
しかし、アメリカでは緑色のイメージはメロンではなく、ペパーミント系になるそうだ。
アメリカでのメロンの色のイメージは夕張メロンに代表されるオレンジで、クリームソーダひとつ取ってみても国によって違うなーと思った次第。



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まぁ、”クリームソーダ"といわれて、竹下通りのドクロマークの店を思いだしてしまう人は、たぶん私と同じ世代かな〜☆


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使用カメラ
ボディ : SONY α7Ⅱ(ILCE-7M2)
レンズ : FE 24-70mm F2.8 (GM SEL2470GM)





Fair Oaks Pharmacy and Soda Fountain

1526 Mission St
South Pasadena, CA 91030
626-799-1414
http://fairoakspharmacy.net/







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Mission San Gabriel Archangel

『サン・ガブリエル・アルカンヘル』


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カリフォルニア最初のミッション(宣教のための教会)は、1769年7月14日、フランシスコ会修道士ユニペロ・セラ(Father Junipero Serra)によってサンディエゴに作られた。
有名なMission Basilica San Diego de Alcala (ミッション・サンディエゴ・デ・アルカラ)である。
そこから始まって、スペイン人宣教師達によって1823年までにミッションはカリフォルニアの21箇所に作られた。
この 『サン・ガブリエル・アルカンヘル』は1771年、4番目に建てられたものだ。



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内部は当時の雰囲気が伝わるように風致維持に努め、最小限の改築に留めてあるのが素晴らしい。


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ロサンゼルス市発祥の地と云われるのは、スペイン統治時代の1781年の9月、スペイン系、アフリカ系、ネイティブアメリカンなど11家族44人の在住者と4人の軍人がこのミッションに集まり、ロサンゼルス市を正式に発足させたとの文献があることに由来している。


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スペイン支配時代の正式名称「El Pueblo de Nuestra Senora la Reina de Los Angeles de Porciuncula」とは、「ポルシンウラ河に望む、天使たちの女王である、われらがマリア様の村」という意味で、「ロサンゼルス」という街の名はこの一部を切り取ったものである。


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1492年のコロンブスによる新大陸発見とスペインによる植民地化の後、同国のカリフォルニア統治政策の下に行われたカトリックによる布教の歴史が垣間見れるような1日だった。


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R.I.P.



Mission San Gabriel Archangel

428 S. Mission Dr.,
San Gabriel, CA 91776
(626) 457-3035
https://www.sangabrielmissionchurch.org/







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メアリー・コルターといえば、「フレッドハーべイ社」の専属デザイナーで、特にグランド・キャニオン内にある多くのランドマークをデザイン・設計した女性建築家でもある。
彼女のスタイルは、スペインのコロニアルリバイバル様式 ミッション・リバイバル様式の建築をネイティブアメリカンのモチーフや素朴な要素とでブレンドしたもので、南西部において先鋭的で多大な人気を博した。
以前アップしたPetrified Forest National Park (化石の森国立公園)のThe Painted Desert Inn (ペインテッド・デザート・イン)の内装の設計は彼女の手によるものである。



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今回の旅の宿泊先となったアリゾナ州ウィンスローの La Posada (ラ・ポサダ)は、1930年にサンタフェ鉄道とフレッドハーべイ社が企画し、メアリー・コルターがデザイン・コンセプトを中心に建築プロデュースして設計したもので、“ 最後の偉大なる鉄道ホテル “ と呼ばれている。
当時、サンタフェ鉄道が時代の息吹とともに、さぞかしたくさんの乗客をこの場所に運んできたことだろう。



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コルターは、裕福なオーナーが旅行の時に買った宝物で一杯になった”いにしえの大農場”というストーリーでこのホテルをデザインした。


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さらに構造物から景観、家具、メイドの衣装、陶器の皿まで、あらゆるものが彼女のコンセプトの対象だった。



1930年代の "La Posada"の写真より。
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当時は"Fred Harvey Hotel"という名前だった。


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全盛期には、ホテルの新聞スタンドでは年間50万枚のポストカードを販売していた。第二次世界大戦中、ウェイトレスは兵士に毎日3000本のスパムサンドイッチを提供した。



時が過ぎ、鉄道旅行の時代が終わり、50年代後半になるとホテルは閉鎖。
コルターがこだわった家具などはすべてオークションで売られ、60年代になると、サンタフェ鉄道のオフィスになってしまった。



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1994年になると、サンタフェ鉄道はバーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道(現在のBNSF鉄道)に合併し、建物を解体し敷地を売ろうとしたが、街は団結して反対。
この古いホテルを守ることを街の再生懸案とした。



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Allan Affeldt (アラン・アフェルト)と妻のアーテイスト Tina Mion (ティナ・ミオン) が交渉を重ね、ホテルの再建を宣言し、1997年に買い取り、修理や改装を経て La Posada (ラ・ポサダ)として、歴史あるホテルが再び蘇ることになった。


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前出の1930年代の写真と比べてみると面白い。


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La Posada (ラ・ポサダ)では、泊まった著名人の名前がそれぞれ各部屋に付いている。
かつてこのホテルに滞在した著名人は、フランクリン・ルーズベルト大統領をはじめ、天皇陛下、アインシュタインやハワード・ヒューズ、ジョン・ウェインやフランク・シナトラ、ジェームズ・タレル、など枚挙にいとまがない。

ちなみに私の部屋は、108号室 。
あのマリリン・モンローと「百万長者と結婚する方法」で共演した女優、ベティ・グレイブルの部屋 であった。



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個人的には、いろいろな場所に飾られている南西部のアート作品やTina Mion (ティナ・ミオン) のアート絵画などは、このメアリー・コルターの建築とはマッチしていないと思うのだが...



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この後、ウィンスローの町を散策。
週末の旅人は先へと向かうのだった。





La Posada

303 E Second St
Winslow, AZ 86047
(928) 289-4366
http://laposada.org/







ニッカの蒸溜場を後にして、タクシーで余市内を移動。


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積丹(しゃこたん)東海岸。

海岸線には奇岩が多くあり、この「ローソク岩」などは夕暮れに方向とタイミングがあえば、蝋燭に火が灯っているように見えるとか。


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画像引用元 ”こすもちっくなお部屋”

こんな風に見えるそうです〜☆


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白岩町の、今にも倒れそうなシュールな”えびす岩”と恰幅のいい”大黒岩”。
地元では夫婦岩とも呼ばれているらしい。



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画像引用元 ”ノース&ウォーム”


写真の撮り方によっては、まるでアバターのフローティング・マウンテンか、ルネ・マグリットの絵みたいだよね。



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白岩町の町名は白い軽石凝灰岩に由来する。


そのまま、タクシーで余市駅に戻る途中に、”旧余市福原漁場”がある。
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旧余市福原漁場は漁場と呼ばれる漁師の施設の一部を、文化庁・道の補助によって修理・復元したもので、往事のニシン漁が栄えた時代の余市の歴史を振り返る事ができる場所となっている。

NHKの朝の人気ドラマ「マッサン」のニシン御殿のモデルにもなった場所でもある。



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この後、余市から帰りの空港に近い札幌まで電車に揺られて、ぶらり、旅の余韻にひたっていた。

腹ぺこで向かった先の札幌での食事処は、十勝の...あれである。


あれ !


...次回につづくのだ〜






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ポパイ(Popeye)

カリフォルニア州サンタモニカ出身、年齢は34歳。
1929年、アメリカの漫画家エルジー・クリスラー・シーガー(Elzie Crisler Segar)が、新聞の連載漫画
『シンプル・シアター』に登場させた、キャラクターである。
サンタモニカ・デイリー・プレス紙によると、実際にサンタモニカ・ピアにいた船乗り、Olaf Olsen(写真右側の男性)が、ポパイのモデルであったと主張している。





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レトロな看板のクリームソーダ屋さん、SODA JERKS( ソーダ ジャークス)


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『 ソーダ・ジャーク (Soda jerk)あるいはソーダジャーカーは、ドラッグストア内のソーダ・ファウンテンにおいてソーダ水やクリームソーダを客に振る舞う従業員(一般的に若者)である。
専用の背の高いグラスにフレーバー・シロップを入れて炭酸水を注ぎ、一すくい、ないし二すくいのアイスクリームを加え、「ソーダスプーン」と呼ばれる長柄のスプーンとストローを添えて客に出すのが一般的である。
ソーダ・ジャークの名前はサーバー(給仕人)がソーダ水を注ぐ際にソーダ・ファウンテン・ハンドルを前後に振る、「jerking」(大きく揺らす)動作に由来する。』 ”Wikipedia”より。



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Ice Cream Sodas (Vanilla) $5,95

1920年代から30年代にかけて流行った、昔ながらのクリームソーダである。
味は意外と甘くなく、むしろソーダはかなりドライだ。



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Soda Jerks Santa Monica Pier

200 Santa Monica Pier
Santa Monica, CA 90401
(310) 393-7632
http://www.sodajerksusa.com/





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サンタモニカ・カルーセル

1916年建造の屋内型メリーゴーラウンド(米国国家歴史登録財)。
すべて手づくりなので、馬の表情も一体ずつ微妙に違う。

キラキラと輝くオレンジ色の電飾、ノスタルジックな音楽、父と娘の笑顔。
20世紀初頭の古き良きアメリカへの憧憬。



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余談だが、世界最古のメリーゴーランドのひとつは、豊島園にある。
今年、生誕110周年らしい。




SANTA MONICA PIER CAROUSEL

200 Santa Monica Pier
Santa Monica, CA 90401
(310) 394-8042
http://santamonicapier.org/fun/





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朝は曇り空で暗かった海辺の辺りも、昼には明るくなってきた。

埠頭を後にして、私は相も変わらず、お目当てのレコード屋へと向かうのだった。







高校時代に初めてバイトをした。
世界のハンバーガーチェーン店として、誰もが知っているあのマクドナルドだ。
あれからうん十年が経った。
今、私はそのマクドナルドの原点ともいえるカリフォルニア州ダウニーの店に来ている。



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1953年オープンの現役で営業してるマクドナルド最古の店。



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パサデナでホットドッグ屋を開業したマック&ディックのマクドナルド兄弟がハンバーガーに焦点をあて、1948年にロサンゼルス郊外のサンバーナディーノにマクドナルド1号店(1972年に解体)、ファースト・フード・レストラン" McDonald's Hamburgers" をオープンした。
その後、合理的な流作業の”スピード・サービス・システム”や、コスト削減・高品質という革新的なコンセプトを確立し、セルフサービスと工場生産式のファースト・フード店としてその名は広く知られていった。
そして1953年に、アリゾナ州フェニックスに2号店。(この店も現存していない。)そして、3号店がこの店、ダウニー店だ。

貴重なことに現在も当時のままのドライブイン・レストランともいえる姿を維持している。




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今日のマクドナルドの歴史に極めて大きな転換期が訪れたのは、1954年、ミルクシェイク用ミキサーのセールスマンで企業家のレイ・クロック がマクドナルド兄弟の前に現れた時からである。
フランチャイズ化を強く進めるクロックに対して、消極的で首を縦に振らないマクドナルド兄弟。
結果、かなり高額な契約金が兄弟のもとへ渡されたものの、マクドナルドという名とシステムは事実上、クロックのものへとなり、フランチャイズ展開が加速されていく事になる。

クロックは最初にイリノイ州デスプレーンズにフランチャイズ店を出店し、成功した後、1955年3月2日、新しい会社”McDonald's Systems Inc.”(マクドナルドシステム会社)を作り、同年4月15日に直営店1号店をシカゴにオープン。1960年には、社名を”McDonald's Corporation”(マクドナルドコーポレーション)に変更して、今日なお、世界展開し続けている巨大ハンバーガーチェーン会社を誕生させた。

参考までに現在のマクドナルド社はマクドナルド兄弟のマネジメントを離れた初めての直営店として1955年にオープンしたマクドナルド シカゴ(イリノイ)店(現在はミュージアム)を第1号店としている。

この辺のいきさつを含めた物語として、マクドナルドを作った兄弟と支配した男の裏切りから成功までのドラマチックな歴史を映画化した『 The founder』を観るとじつに面白く描かれていると思う。



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当時、使用されていたレジスター



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『スピーディー』

"スピーディ サービスシステム"から作られた初代マスコットキャラ。


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ちなみにハンバーガーの味は同じだった。
高校時代バイトの後に食べたハンバーガーも、今ここダウニーで食べたハンバーガーも同じ味。
いつどこで食べても変わらない味。
良きも悪しきも、まぁ、それがマックのハンバーガーなんだよね。




Oldest Operating McDonald's

10207 Lakewood Blvd
Downey, CA 90241
(562) 622-9248

https://www.mcdonalds.com/us/en-us.html




『 The founder』〜ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ(邦題)